【連載】ロシアの実像を探る(12)北方領土問題の行方(完)

   

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北方領土問題の行方

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kurilenkonflikt.png

 

 

前回はロシアの政治に触れましたので、それに続いて今回は現在のロシアの対日外交と北方領土問題について考えます。この連載の1~2回目で、日本人のロシアに対する好悪やイメージ、それに明治時代初めまでの日露関係の歴史を述べました。その延長線上での話としてお考え頂ければと思います。

 

北方領土問題の詳細については、これまでに多くの方が書かれています。北方4島がなぜ日本の領土であるのかの歴史、ロシア(旧ソ連)の対日宣戦布告の背景、戦後の両国間の交渉経緯、等々それらは多岐に亘って膨大な量に上ります。

 

しかし、どれだけ書かれても、両国間で未だにこの問題に決着が付いていないことは残念ながら動かしがたい事実です。終戦から75年も経ているのだからもう決着を付けるべき、という見方から、領土問題は、所詮はもう一度戦争でもやらねば片が付かない、といった物騒な論まで、数多の論者による百家争鳴です。

 

これまで決着が付かない理由は、煎じ詰めれば日露双方の主張にそれぞれ何某かの無理があり、互いにそこを衝き合うことで協議が堂々巡りを繰り返していることに求められるでしょう。その点を簡単に見ておきましょう。

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北方領土問題における日本の主張

択捉島 https://pixabay.com

 

 

日本の主張を簡単に纏めてしまえば、終戦に至るポツダム宣言を受け入れ、1951年締結のサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄したが、それには南千島の国後・択捉と北海道の一部である歯舞・色丹は含まれていない、すなわちこれ等の4島については領土放棄を行っていない、だからロシアは速やかにそれらを返還せよ、となるでしょう。

 

歯舞・色丹は返還が当然で(特に歯舞群島は日本の降伏文書調印後に占領されている)、国後・択捉は明治維新以降に日本が他国から奪い取ったものではなく、1855年の日魯和親条約で日露の国境線を択捉島と得撫島の間とすると平和裏に決めてから一貫して日本固有の領土である、という論理です。

 

日本人の圧倒的多数はこの主張に疑問を持っていないようです。しかし、ロシアはこの論が、日本政府が国民に撒き散らしたプロパガンダという捉え方をしています。それは、日本のこの主張が、サンフランシスコ平和条約締結から数年を経た1955~56年になって初めて言い出されたものだからです。

 

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