瀬長亀次郎はどう生きたか

      2019/11/11

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「民意」

(投票に訪れた那覇市民 提供:不屈館)

 

出所から8か月後、瀬長は那覇市長選挙に出馬。

米軍は瀬長のイメージダウンを狙い、市内中にヘリを飛ばして中傷ビラをばらまいたが、瀬長は圧倒的な得票で当選を果たした。

米軍は手を緩めない。

市長就任式すら終わっていない段階で、那覇市への補助金を打ち切り、同時に銀行の預金を凍結。

税金を納めさせず、那覇市の市政運営を完全にストップさせる狙いがあった。

 

しかし、那覇市民はこの米軍のやり方に強く反発。

市庁舎の前には、市民税を市に直接納めようとする市民の大行列ができていた。

「銀行が止まっていて、集まったお金は預けるところがないわけです。だから大きな金庫を5つ買って市役所で保管したのですが、24時間、青年たちが交代で金庫番をしたと聞きます」(内村さん)

 

米軍が弾圧を加えれば加えるほど、沖縄の民意は瀬長に傾いた。

 

「11か月」

(那覇市長選で米軍がばら撒いた中傷ビラ 提供:不屈館)

 

市長就任後も、米軍は瀬長にさまざまな圧力を加える。

県内市町村のうち、那覇市だけに水道水を送らずに断水させるという「水責め」も行われた。

議会では、米軍の圧力で瀬長の不信任案(議会の3分の2以上の賛成)が通されたが、瀬長は同時に議会を解散。

直後の那覇市議選では、瀬長を支持する与党議員が12名に増え、議会では不信任案を通すことができなくなった。

 

1957年11月、米軍は布令(米軍による沖縄統治における実質的な法律)を改定し、不信任案の議決を議会の過半数の賛成で足りると変更。

同時に市町村自治法も改正され、過去に懲役刑を受けた者は選挙に立候補できないこととした。

市長を退き、被選挙権をも失った瀬長。

民衆からの圧倒的な支持を受けた瀬長市政は、たった11か月で幕を閉じた。

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「米軍と瀬長」

(市長退任後、瀬長の後任を選ぶために開かれた立会演説会には多くの市民が駆け付けた 提供:不屈館)

 

米軍にとって瀬長は、もはや一個人を超えた存在となっていた。

対抗姿勢を崩さず、また民衆の心を惹きつけた瀬長を強く恐れた。

故に、常人の想像を超える弾圧が行われたのだ。

 

しかし、一方の当事者である瀬長には、米軍とのやり取りを楽しんでいる節もあったという。

「亀次郎の日記には、米軍の新たな弾圧が始まると『いよいよ面白くなってきた』という言葉が何度も出てきます。

あちらはもう手がないから、次はこう出てくるだろうと米軍の動きを自分なりに予想していたようです。

日記を読んでいると、とても厳しい状況のはずなのにユーモアがある書きぶりで、辛い雰囲気を感じないのが不思議です」(内村さん)

 

米軍が瀬長に加えた一連の弾圧ついて、

「瀬長を沖縄のヒーローにし、またアメリカへの反発を増大させるものであり、本来するべきではなかった」

という主旨の回顧文書が、後にアメリカの公文書館から見つかっている。

 

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