【ロシア極東と日本】第5回 戦争の悼み方:ロシア人にとっての第二次世界大戦

   

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ロシア人にとっての第二次世界大戦

【写真6 ユジノサハリンスク市内の戦没者慰霊碑】

1945年8月11日、ソ連軍はこの北緯50度線を越えて樺太に侵攻してきた。8月25日に全域が占領下におかれるまでの2週間、樺太は戦場になった。千島列島の占領は9月5日までかかった。昨年来の北方領土問題をめぐる日露間の交渉の過程で、ロシア側が再三要求した主張が、日本側が返還を要求する4島が「第二次世界大戦の結果としてロシアの領土となったことを認めること」であった。

日本側は4島の「返還」を要求する。「返還」はもともと日本の領土なのだから返してほしいという主張である。一方、ロシア側は一貫して「引き渡し」と表現する。すなわち、ロシアの領土だけれども日本側に渡す、という意味である。「第二次世界大戦の結果を認めよ」というのはこの認識の違いを解消せよ、ということをまずもって意味する。

そして、この主張の背景には、第二次世界大戦がもつロシア国民にとっての意味の重さがある。ロシアには特別な戦争がふたつある。ひとつが1812年のナポレオン戦争である。フランス軍にモスクワ直前まで迫られたこの戦争は「祖国戦争」とロシアでは呼ばれる。もうひとつが第二次世界大戦で、こちらは「大祖国戦争」と呼ばれる。

大祖国戦争では、軍人・民間人合わせて約2700万人のソ連国民が亡くなった。当時の人口の1割を超える。参戦国のなかでも圧倒的に多い。日本人の戦没者数は310万人とされる。数の大小で犠牲の重さをはかりたくはないが、それでも、どちらが戦勝国なのかわからないほどの数である。

 

ロシア人の戦争の悼み方

【写真7 ハバロフスク市内の戦没者慰霊碑】

ロシアにいくと、どの街にも中心部に、戦死者の氏名が刻まれた碑が建っている。彼らは、祖国に殉じた人びとを、何かに祀り上げるのではなく、ひとりひとりの個人として記憶し、日常の生活のなかで想起し、追悼する。

入場料無料の博物館「ポベーダ」では、誰がいつどこで何歳で亡くなったのか、タッチパネルでひとりひとりの情報を知ることができる。そうしたひとりひとりに思いをいたし、祖国が守られた記憶を日常のなかで内面化する。なにかというと個人情報をたてにとる日本では、こうした追悼の仕方はおそらく不可能だろう。

【写真8 戦没者情報タッチパネル】

特別な場所に特別な思いをもつひとがおもむいて戦死者を悼み、年に一度思い出したかのように戦争が想起されるのではなく、日常のなかに戦争の記憶が寄り添っている。それがロシア人のアイデンティティを深いところで支えている。この意味の重さは、日本人にはなかなかはかり難い。

だからロシア側の主張を認めよ、などといっているのでは毛頭ない。しかし、相手側の主張の出発点も知らずに議論も交渉もできるものではないだろう。学生たちは理解してくれただろうか。

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天野 尚樹(あまの なおき)

山形大学人文社会科学部准教授、博士(学術)。専門はロシア極東近現代史、北東アジア境界政治史。著書に『日露戦争とサハリン島』(共著、北海道大学出版会)、『帝国日本の移動と動員』(共著、大阪大学出版会)、『樺太40年の歴史』(共編著、一般社団法人全国樺太連盟)などがある。

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https://www.levada.ru/2016/04/07/mezhdunarodnye-otnosheniya-2/

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