【ロシア極東と日本】第5回 戦争の悼み方:ロシア人にとっての第二次世界大戦

   

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サハリンにいってきた。今回は、学生の現地フィールドワーク実習の引率である。実習の課題は4つ。日本時代の遺跡巡検を中心に、サハリン島の文化的多層性を見出すこと。日本領樺太時代生まれでいまもサハリンに生きる日本人に話を聞くこと。ロシアでの戦争の悼み方を知ること。そして、ふたつのボーダーを跨ぐことである。

ふたつのボーダーを跨ぐサハリン

 

 

【写真1 海峡を跨いだ航行マップ(写真はすべて筆者撮影)】

ふたつのボーダー。ひとつは現在の日本とロシアを分かつ宗谷海峡のボーダーである。新千歳空港から40分ほどで飛行機は北海道最北端の宗谷岬を過ぎ、宗谷海峡に入る。ここから3海里(5.556キロ)までが日本の領海である。海峡を跨ぐ時間はわずか7分。眼下にサハリン島最南端のクリリオン岬が目に入る。およそ90分のフライトで飛行機はユジノサハリンスク空港に着陸する。同行したロシア人留学生が「ロシアに帰ってきた」とつぶやいた。その街並みや空気感は明らかにロシアである。

 

【写真2 北緯50度線の現在(向かって左側が旧日本領)】

もうひとつのボーダーが北緯50度線。1905〜45年までの40年間、サハリン島を日本とロシア・ソ連に分けていた旧国境である。ユジノサハリンスク、日本領樺太時代の首府・豊原(とよはら)から約500キロ。東京から大阪ほどの距離がある。森のなかにうっすらと見える小道が北緯50度線である。国境の目印である標石のおかれていた台座がいまでも残っている。

【写真3 国境標石の台座】

戦後70年の記念事業としてユジノサハリンスクに建設が開始され、2017年にオープンした博物館「ポベーダ(勝利)」の最初の展示室に入ると、戦前の国境の様子を模した蝋人形がいきなり目に飛び込んでくる。いかにも緊迫した雰囲気である。しかし戦時体制に入る1930年代末までは、いたってのんびりとした景色で、樺太観光の目玉でもあった。樺太で幼年時代を過ごした児童文学者の神沢利子の自伝的小説『流れのほとり』に以下のような描写がある。

 

「ここが国境?」〔中略〕

「なんだ、向こうがロシアなのか」

保も同じ気持ちだったのだろう。丸太の内側に立って向こうをながめているひとびとにまじって、がっかりしたような表情をしたが、急に片足、丸太の外へ踏み込んでさけんだ。

「見ろや、おれ、ロシアさ行ったぞ」

すると、たちまち夏目明や啓たちがまねをした。

「おれも行ったぞ。なんたってこっち側はロシアだもんな」

(神沢利子『流れのほとり』福音館書店、2003年、372ページ)

【写真5 旧日ソ国境の展示】

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