【ロシア極東と日本】第3回 北方領土の「地元」から

   

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サハリン市民の自意識

サハリン市民の誇り、チェーホフ像(ユジノサハリンスク市):筆者撮影

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今年の3月、1週間ほどサハリン島に滞在した。「北方領土問題」のいわば地元である。

昨年末から今年の年始にかけて、日本への領土引き渡しに反対する400人規模の抗議集会がユジノサハリンスクで2度ほどおこなわれたことは日本でも報道された。ただし、見誤ってはならないのは、サハリン島の住民全体が強硬な対日姿勢をとっているわけではない、ということである。

集会を主導したのは共産党と社会団体の一部だと報道されている。現在の共産党は、ソ連時代のものとも、また日本の共産党とも違い、きわめてナショナリスティックな政党である。勢力も大きくはない。

ただ、サハリン全体がナショナリズムの強い地域であることも確かである。これを「辺境ナショナリズム」と呼ぶこともできる。国家の端に位置するがゆえに、外国との最前線に立つ自分たちの存在価値を国家にアピールする声は大きくなる。

サハリン島に限らず、国家のボーダーに位置する島は、国の中央の都合次第で簡単に見捨てられる不安を絶えず抱えている。サハリン島は、日本とロシアのボーダーが交錯した島だが、戦火が及びそうになると、日本もロシアもこの島を見捨ててきた。この歴史的経験についてはまた別の機会に譲るが、見捨てられるかもしれないという不安感の裏返しが声高なナショナリズムの源となっている。

この、本国の中心から切り離されているという感覚は、「辺境ナショナリズム」とは真逆のアイデンティティを生み出す。つまり、この島はロシア本体と完全に一体の空間ではなく、固有の歴史的・文化的特徴をもった独自の空間だという自意識である。日露が国境を共有した時代があり、サハリンという地名が満洲語に由来するように、中国の統治が及んだ歴史があり、外界から孤絶した孤島などではなく、先住民が周辺の海峡をまたいでダイナミックな交易活動をおこなっていた空間がサハリンだ。

このように多様な文化が交わってきたこの島を彼らは「コンタクト・ゾーン」と呼び、その「非ロシア性」をむしろ誇りにしている。

 

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