【ロシア極東と日本】第2回 「北方領土」と「千島列島」

   

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つくりだされた「北方領土」

 

https://www.flickr.com/photos/25025957@N00/16025105046

 

ではなぜこのような歴史の改ざんがおこなわれるのか。すでにお気づきかもしれないが、『千島概誌』の記述に歯舞群島は出ていない。歯舞群島は、根室国の時代以来、一貫して根室に属しているからである。つまり、歯舞は千島ではない。

1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島の領有権を放棄した。そのうち南部千島について返還要求をしていく背景には、アメリカの意向があったとされる。千島ではない歯舞や色丹までなら引き渡せても、それ以上の要求をソ連がのむことはない。世界を二分した冷戦体制下では、紛争事案があった方が日ソ間の友好が深まるのを阻むことができる。アメリカにとって、問題が解決しない方が望ましかったのである。

そこで、一度もひとくくりの地域にされた歴史をもたない、歯舞と南部千島を一括する地名を新たにつくり出す必要が生まれた。そうして名づけられたのが「北方領土」である。外務省が、返還要求地域としてこの名称の採用を正式に指示したのは1964年のことである。そして、その正当化の「根拠」とされたのが、「固有の領土」という神話だ。

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1945年当時、歯舞には5281人、南部千島の3島には1万2010人(うち、最大は国後の7364人)の日本人が暮らしていた。一方、中部千島・北部千島には水産業に従事する季節労働者を除くと、定住者はごくわずかだった。しかし、南部千島には返還要求し、中部千島・北部千島は要求しない明確な根拠は存在しない。

人びとが実際に生きた歴史とは切り離され、日本の国家的意思すら超えたところで、新たにつくりだされたのが「北方領土」であり、「空白」の「千島列島」だ。それをつくりだす「根拠」として持ち出すことができるのは、「固有の領土」論といういびつな神話しかないのである。

日本の戦後と冷戦のはじまりは同時である。1989年に冷戦は終わった。冷戦後と平成のはじまりも同じ年である。冷戦が終わって30年。平成も終わった。北方領土だけがいまも「戦後」のまま生きている。

 

天野 尚樹(あまの なおき)

山形大学人文社会科学部准教授、博士(学術)。専門はロシア極東近現代史、北東アジア境界政治史。著書に『日露戦争とサハリン島』(共著、北海道大学出版会)、『帝国日本の移動と動員』(共著、大阪大学出版会)、『樺太40年の歴史』(共編著、一般社団法人全国樺太連盟)などがある。

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https://www.levada.ru/2016/04/07/mezhdunarodnye-otnosheniya-2/

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